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Posted by あしたさぬき.JP at

2010年03月22日

千の風になって




私はレパートリーとして、自分なりの解釈とアレンジをした「千の風になって」を持っています。

ミディアムテンポで

ブルースロック的なストロークで

アフタービート&シンコペーションな歌い方で

しゃべるように語るように、ときにはシャウトして、歌い、演奏をしています。


自分の骨も、許されるならば、私が育った瀬戸内海や、
瀬戸内海の海が見える山のどこかに、

ぱぁ~っと、振りまいてほしい、という感覚も持っています。



私がこの楽曲を演奏しようとしたきっかけは、昨年の忌野清志郎の訃報に接したときです。


それから、アレンジを練り込んで(・・・毎回、演奏するときの気持ちのままで??・・)

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先日、正統派の歌唱方法での「千の風になって」を、ピアノの歌の生演奏で聞く機会がありました。

楽曲が始まったときには、ああ、正統派の歌唱方法だなぁと・・・ゆっくり味わいはじめたんですが・・


ふと、ピアニストを見ると


小さな子供が砂場で砂山をつくりながら、

何か悲しいことを思い出して、片方の手ではつくることは決してやめずに、

もう片方の手で頬や目の下に流れようとしている涙を押さえたり拭いたりしている姿を、

見てしまいました。


そのピアニストと悲しい出来事を共有していることに気がついて・・


久しぶりに、ひと前で、50過ぎのおとこが涙を押さえきれず、

鼻水をすすることもはばからず



千の風になってを、聴きました。



楽曲の意味とか力ということではなかったかも知れません。

おなじ悲しみを持っピアニストの、そんな健気な姿に心を揺さぶられました。


その場にいた、何人かの共通の悲しみをもったひとたちも、


わたしと同じように、鼻水をすすりながら、嗚咽もはばかることなく、


千の風になってが、その場所で演奏されました。





ねえ、しあわせものじゃないか。風になってる、ひとよ。

もっと以前に、しあわせものなんだ、ということを感じてほしかったけど。


精神的に時間的に余裕がなくて、高松に来ていたご親族に御礼が言えなかったけど。


ギターの個人レッスンが、数か月で途絶えてしまって、残念で申し訳なかったけど。


少しづつ前に進む私のギターの腕に、合わせてセッションをいつもいつも、して欲しかったけど。


わたしはまだ行ったことがない、屋島に花見に、行きたいと思ってます。


身近なひとが、自分のまわりから居なくなる、ということを突然体感して。


私はなにかできなかったのかと、自問をして。



これから、わたしも、千の風になって、を、歌い続けたいと思っています。



***********

あ、千の風になってを歌っていた演奏家の方は、

自分の歌に感動して泣いてくれているひとがこんなにいるのかと・・思っていたようですが。

この時期に、この楽曲は・・・しまった、と思ったようですが・・

すいません、声楽的な歌としての感動ではなく・・・わたしの場合・・・ピアニストの涙する姿に・・

来てしまいました・・

シツレイ(微笑)



※写真はるいままの花見のブログから拝借  

Posted by rookie1957@ストリート at 11:21Comments(4)音楽・舞台・映画